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残るは言葉ばかりなり。


by fly-high0320

blood diamondから始まる会話。

今日は面白いネタを提供いたしますよ。まあ、IRネタではありますけど。

再びblood diamondを見まして。今日は幾分冷静に、映画の意義とかカメラワークとかも考えながら見れました。まあでも晩ご飯を食べながら見るもんじゃあねえな。(^^;


でですね、事件はその後起こりまして。
見終わった後に、ホストペアレンツがアフリカについて会話を始めまして。
おとっつあんがいったんです。「they(African people) are primitive」って。

Primitive?

原始的?

そんなことを聞いて黙ってるわけにはいかない、と会話に加わってしまいました。いや、アフリカが原始的ってのはちょっとバイアスかかってるだろう、と。

そっから始まりました、小一時間に渡るunproductive debateが。(笑)


まず彼らの言うprimitiveとは何を意味するのかについて聞きました。それがなたで手足を切っちゃうような行動のことで、「一部のアフリカ諸国、および少数の残忍な人々」に限ることを確認。ムガベ等が残忍な人々の例。

ただこの点に関しては、話してる間に向こうの意見が変わっていった、ないしは一般的見解と本音とのギャップが解消されないでいるように思います。
どうも彼らの口ぶりを聞いていると、black people(適当な表現が見当たらない…)全般にはそういったprimitiveなcultureがある、と考えているように思えたのです。ただ単に表現上細かい区別をせずに話していただけなのかもしれないけど、なんとなく。
おっかさんはアメリカ国内の黒人が、そういう性質を持っている、って言うし。社会的な差別もあるし、ドラッグなどのアフリカとは違う問題は抱えているけども、って注釈つきで。

まあ、これは「なんとなく」なんで自分自身にバイアスがかかってると見たほうが冷静だよね。けど今までおとっつあんの意見(いろいろと面白いことを言ってくれる)を聞いてると、そういうradicalで運命論的な意見があるように思えたのです。
バイアスか推測か…さて今回の場合はどちらでしょうね。判断が難しいところです。


次。「アフリカ諸国の文化はオーストラリアを含む西洋のそれとは大きく異なるにもかかわらず、オーストラリアは彼らに対する援助を続ける、ないしは増額すべきか?」

一部のアフリカ諸国は、primitiveと形容されるような生活―手足の切断、カニバライゼーション、いわゆる暴力の文化―を文化的側面として有している。
また彼らの一部は、援助を受け入れてはいるが実際には独自の文化の喪失や腐敗への考慮から海外援助を望んでいない、若しくは彼らの認識に関わらず援助が結果的にアフリカ諸国にそうした悪影響を及ぼしているかもしれない。

こうした状況に対し、オーストラリアは、当然自国内にインフラ整備、渇水、社会福祉といった多くの金銭的需要があるにもかかわらず、多額の資金援助及びPKOなどを通じた人的援助をしている。

最低限の人権擁護のための援助はともかく、文化的な相違があり援助を望んでいないかもしれない国家に対し、オーストラリアはこれまでと同様、或いはこれまで以上の援助をすべきなのだろうか?


…みたいなことを、オーストラリアの一市民としてどう考えるかについて聞きました。最初はもっとmessyな聞き方でした。
というか久しぶりに真っ当な日本語を書いた気がする…うーん、難しい。英語のほうがわかりやすいかなぁ、確かに。

で、彼らの答えは。
おとっつあんは、減額すべきだ!!!でした。
ちょっかい出しすぎ、らしいです。現状は。
おっかさんはそれは答えられない、でした。それは政府の政策であって一個人が答えるものではないと。
ホストブラザー17歳は、増やすべき。ただ彼の意見は国家の政策として、であって一個人の意見は別なように思えました。「援助はうまく行き届いてない」「アメリカは援助を通して利益を吸い上げ対象国に悪影響を与える」など。どれもオーストラリアがどーすべきという意見を示してはいませんが、やはり、なんとなく援助に対して否定的な意見があるように聞こえました。




この後は何故自分がオーストラリアについて聞きたがったのか聞かれて、オーストラリアの独自性について話しました。そっからは議論が逸れたので自分が興味を失ったのと、beyond controlになったので割愛。彼らはオーストラリアの文化の起源について違う意見を持っているようです。



一連のgdgdな会話を通して思ったのは、オーストラリアって謎だよね、ってこと。
比較的、オーストラリアは独自色が見えない。Foreign aidに関しても、被援助国および民族についても、多様性そのものについても。
勿論この家族がオーストラリア市民を代表しているとはいえないけれど、逆に言えばこれだけ多様なバックグラウンドと意見を一家族が内包していることがオーストラリアの特徴だと思うのです。
ただの個人的意見の相違じゃなくて、バックグラウンドに起因すると思うのね。三度目、なんとなくだけど。
例えばこれが日本だったら、オーストラリアほどの文化的多様性はないし、意見にもそこまで多様性はないんじゃないかな、と思うんだよね。比較的だよ。



そんな感じで、引越し間際になってなんか色々話を聞いてみました。そういう流れになっちゃっただけだけど。オーストラリアを見つける旅はまだまだ続きそうです。
by fly-high0320 | 2007-07-24 23:58